新橋九段です。
先日より、『新日本婦人の会京都府本部』が、講談社の車を紹介する子供向け書籍に、戦車のような兵器、あるいは護衛艦などの車ではない兵器が掲載されていることへ抗議した件について「弾圧だ」「圧力だ」「連合がこれに抗議しないのはおかしい」などという反応が寄せられています。
これは先日Twitterで述べたように、なんら強制力を持たない市民が抗議したという事例であって、これを弾圧や圧力などと表現するのは端的に言って誤りでしょう。しかし、この説明はあまり理解されていないように思えます。
今回の記事では、この件を例にとり、言葉への解像度をあげていこうというお話をします。
抗議・圧力・弾圧
さて、上掲の例で登場した抗議・圧力・弾圧という言葉ですが、外形的にはよく似た行動であることは確かかもしれません。いずれも、強い態度で相手へ異存を述べることを表現するときに使われやすい言葉です。
しかし、抗議と圧力・弾圧では表現するところが大きく違います。後者の言葉は、人あるいは集団が、言論以外の力を用いて自身の異存を相手に認めさせようとするニュアンスがあります。
もちろん、いち市民団体にそのような力があるはずもありませんから、この事例を圧力や弾圧と表現するのは不適切でしょう。
もし仮に、共産党系の市民団体と言われる(この抗議をした団体は共産党の下部組織とかではないんですけど)人々が強制力をちらつかせて「抗議」すれば、警察が嬉々として逮捕することになるでしょう。
自民党の「圧力」
もう1つ例を出します。
沖縄タイムスは24日に、自民党県連から参院選についての報道が誤りであるという旨の「抗議」を受けたことを報じました。そして記事は識者のコメントを引用し、これを圧力であると論じています。
なぜ、これが「抗議」というより「圧力」と言うべきなのでしょうか。一見すると、報道内容が誤りであるという抗議は極めて正当なものに見えます。
問題は、抗議の仕方と「自民党」という立場にあります。
まず、自民党県連は抗議の際、多数のメディアを招く記者会見のかたちをとり、県連が誤りだと主張する内容の発言を記事へ寄せた県議や幹部が匿名だったことから情報源の開示を求めました。
組織に気兼ねなく発言できるという意味で、匿名性が重要になる場合があります。また、多数のメディアを招くことで、沖縄タイムス以外の会社にも党に不都合な報道をしないように暗に「圧力」をかけていると取ることができます。
この圧力が「圧力」足りえるのは、抗議を行ったのが「自民党」であることと密接に関係しています。与党第一党で、政府とつながりのある自民党は、圧力をかけようと思えばいくらでもかけられる立場にあります。そのため、このような遠回りな行為でも「圧力である」とみなされることになります。
例えば、同じことを共産党が行っても、あまり圧力とはみなされないでしょう。自民党と比べて共産党には、実際に圧力をかける力は極めて小さいからです。
このように、同じ行為でも行為者の立場が異なれば評価は変わります。外形的な行為だけを比べて、同じ行為だから同じ評価をしなければおかしい、と判断するのは誤りです。
ちなみに、仮に共産党が与党第一党になれば、共産党とつながっている市民団体の「抗議」も別の意味を持つようになるのであり、その抗議はより慎重になされるべきである、ともいえるでしょう。
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