新橋九段です。
今回は基本方針のうち、特に「矛盾である」という非難の多かったこの点についてです。
連合は、表現の自由を求める繋がりです。しかしヘイトスピーチ規制も求めています。それは以下のような理由からであり、決して矛盾ではありません。
1.ヘイトスピーチはマイノリティの表現の自由を抑圧するものだから
大前提として、ヘイトスピーチ、つまりマイノリティへ向けられる差別に基づく誹謗中傷は、マイノリティの表現の自由を抑圧するものです。
例えば6月中旬、東京朝鮮中高級学校の文化祭において、ネット上で寄せられた誹謗中傷を書き写し、板で作った壁に貼り付けるという展示が話題になりました。この際、展示されている誹謗中傷は自作自演であるという根拠のないデマ、中傷がこの発表へ多数向けられました。
このケースは、マイノリティが声をあげることの困難をよく表しているといえるでしょう。マイノリティが何らかの発言をするたびに、差別が殺到する。そのような状況では、マイノリティが表現することはままなりません。
ゆえに、ヘイトスピーチはマイノリティの表現の自由を抑圧するものであり、表現の自由を擁護する以上ヘイトスピーチは絶対に否定しなければならないものです。
2.あらゆる差別に反対することを明確にするため
ヘイトスピーチ規制は大抵の場合、民族的マイノリティへのヘイトを禁じることを想定しています。
実際に規制がどのような形になるかはさておくとしても、当連合はあらゆる差別、つまり女性に対するもの、セクシャルマイノリティに対するもの、障碍者に対するもの、特定の出身地や職業に対するものなどあらゆる差別に反対する立場をとります。
そのことを強調するためにも、ヘイトスピーチ規制を求めることを基本方針としています。
3.表現の自由もほかの権利と衝突すれば調整されるものであることを明確にするため
当連合が発足するきっかけは、従来の「表現の自由を擁護する」人々の態度のありように疑問を抱いたからです。
従来の「表現の自由を擁護する」人々は時折、表現の自由は権利の中でも特別不可侵なものであり、それ以外のどんな権利を侵害してもなお守られるものであるかのように振舞ってきました。その最たる例が、ヘイトスピーチ規制に反対するどころか、ヘイトスピーチをすること自体が表現の自由に含まれるかのような態度をとったことです。
確かに表現の自由は重要なものであり、我々はそれを守ろうとしていますが、同時に、表現の自由は諸権利と同じように、ほかの権利と衝突する場合には規制されうるものであることも事実です。我々は表現の自由が絶対不可侵なものではなく、公共の福祉によって制限されうるものであることを明確にするために、ヘイトスピーチ規制を求めます。
このような見方は、表現の自由を守るためにむしろ不可欠なものです。表現の自由が本当に絶対不可侵であれば都合がいいかもしれませんが、しかし現実にはそんなことはあり得ません。不可侵性をどう強弁したところで何らかの規制をされることになるでしょう。
だからこそ、表現の自由が公共の福祉によって制限されることを確認し、逆に、それ以外の曖昧模糊とした理由によって規制されることには絶対に反対するという立場を明確にすることが重要です。
規制なくしてヘイトスピーチもなくなれば理想です。ですが、社会情勢をみるにそのような理想が実現する見込みはありません。であれば、マイノリティの権利を守るために、次善の策としてヘイトスピーチ規制を求める必要があるでしょう。
もちろん、ヘトスピーチ規制が過剰な規制とならないように慎重に作られ、運用が監視される必要はあります。しかし、表現の自由を擁護する立場なのだから、ヘイトスピーチ規制を求めるのは矛盾である、などということにはなりえません。
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