新橋九段です。
衆議院選挙が近づいています。以前からちょくちょく、連合もどこぞのように「表現の自由を守る候補」の名前を挙げて応援しないのかというコメントをもらいます。なので、今回は連合の現時点での方針を説明しておこうと思います。
結論から言うと、当連合は現在のところ、特定候補の名前を挙げて投票を呼び掛けるようなことを予定していません。投票先としては「自民や自民に同調するような、反表現の自由の立場をとる候補に投票するな」という態度を貫いています。
シングルイシュー応援の限界
なぜ特定候補を応援しないかというと、シングルイシューに基づいて候補を応援することには限界があり、また無視できない問題もあるからです。
表現の自由に限った話ではありませんが、たった1つの論点でもってその政治家を応援するかどうか決めることは、それ以外の論点を無視するということでもあります。しかし、政治家は1つの論点だけを扱うわけではありませんし、我々も1つの問題だけが生活に影響するわけではありません。極端な話、「表現の自由を守る」と主張する候補が消費税は上げる、汚職はする、公文書は改竄するのやりたい放題では表現の自由が守られたところで政治が崩壊します。それでは意味がないのです。
この手のシングルイシュー応援の弊害としてわかりやすい例が、荻野稔大田区議でしょう。氏には寸借詐欺に関与した疑惑、口座を反社会的勢力に譲り渡した疑惑、政治資金を使い込んだ疑惑などがあり、氏自身はこれに関して何ら説明をしていません。しかし、表現の自由を守ると口にするだけでオタクから大喝采、などという目も当てられない状況になっています。シングルイシューのみ一致すればよし、という態度はこのように、守りたい1つの論点をほかの悪行の隠れ蓑に利用されてしまう恐れもはらんでいます。
また、シングルイシューによる応援は小異を捨てて大同につくことも目的としていますが、実際には、決して小さくないはずの差異を「小異である」と強弁し無視する詭弁にも利用されています。この最たる例が山田太郎参議院議員でしょう。自民党に所属することは、表現の自由の観点からきわめて大きな問題ですが、表現の自由を守ると口にすれば小異とみなされてしまうという現実があります。
まっとうな政治家を送り込め
こうした問題を回避するためには、表現の自由というシングルイシューで政治家を選ぶのではなく、総体的にまっとうな政治家を送り込む必要があります。表現の自由を第一の公約に掲げる自民党議員と、表立って口にしてはいないがまっとうな良識と人権感覚を持った政治家では、どちらが表現の自由に資するでしょうか。
当然、まっとうな良識と人権感覚のある政治家です。その政治家が表現の自由を表立って唱えていなくとも、我々から働きかけて動いてもらうほうが、自民党議員に自由を守らせるより簡単確実で期待できます。まっとうな人権感覚があるなら、我々が動かずともまずい法律には反対してくれるという期待もできますし。
しかし、シングルイシュー応援では、こうした「いぶし銀」な候補は漏れてしまいます。そうした議員が落選し、口だけは自由を唱えるどうしようもない議員が当選するという事態は、表現の自由にとって喜劇混じりの悲劇としか言えません。
こういう事情がありますから、当連合は表現の自由というシングルイシューで候補を選定するような行為はしません。まっとうな候補、少なくとも自公維ではない候補に投票してくださいと呼びかけるだけです。
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