新橋九段です。
昨日から石川優実氏の呼びかけによって、デマを流布する風潮およびデマを放置するSNS運営などに反対するTwitterデモが行われています。詳細は#デマを許さない社会に Twitterデモをしましょう!をご覧ください。
6月17日から一週間、20時から22時ごろまで行われます。賛同する方はハッシュタグ#デマを許さない社会に、または#デマを許さない社会へを拡散してください。是非に。
さて、Twitterでタグを拡散するだけでは芸がないので、当連合は当連合らしく、言論によって表現の自由とデマとの関連を論じることで、この問題の重要性を訴えていくこととしましょう。
弾圧に利用されるデマ
表現の自由とデマには密接な関係があります。表現の自由は侵すことができない基本的人権ですが、かねてから主張している通り無制限のものではありません。他者の権利と衝突するときに制約がかかることがあります。
裏を返せば、表現を弾圧したい立場からすれば、問題ない表現を潰すとき「他者の権利と衝突」しているかのようなデマを流布することで、自らが正当であるかのように偽って堂々と弾圧できるということでもあります。
それが端的に表れたのは、やはり今回のデモの発端にもなった石川氏の著書に関するデマででしょう。石川氏がブログで詳細に説明しているように、元々の裁判は氏の引用が引用の要件を満たさず、かつ名誉を棄損するものであるという訴えによって起こされたものです。この訴えは裁判によって全面的に否定されましたが、デマを流す側はこのデマにしがみついている限り、あたかも「自分の権利を守るため」という正当な理由によって石川氏を「批判」しているかのようにふるまえるのです。
「あいちトリエンナーレ」が攻撃されたのは、そこで展示された作品が日本人の名誉を棄損するとか、天皇への脅迫であるといった荒唐無稽な理由からでした。ここまでくるとデマですらないような気もしますが、誤った情報によって自らが権利を侵害された被害者であるかのように装い、それをもって攻撃を正当化するという点は同じです。
また、古くはマンガなどの性表現への規制、七生養護学校事件に代表される性教育の弾圧、果ては共産党の弾圧まで、これらはすべて根拠に基づかない誤った「権利侵害の恐れ」、つまりデマを根拠として正当化されてきました。このような歴史を踏まえれば、表現の自由を守るという立場に立つ人であれば、デマの放置はできないはずです。
デマを放置するネット社会
一方、こうしたデマに対処せず、どころか積極的に放置してきたのがTwitterやYouTubeといったSNS、Webサービスの運営です。運営としては、そこでやり取りされる情報がデマだろうが何だろうが、利用者が増え活発に利用されればいいということでしょう。
こうした運営の態度は、アカウントの通報理由に「デマである」という選択肢がないことに強く表れています。これは地味なようでいて重大な問題です。というのも、現在の言葉尻をとらえ、「死ね」「出ていけ」「馬鹿」といったわかりやすい暴言のみを規制する凍結モデルでは、「あの事件の犯人は実は○○人」というような明らかな差別的動機に基づく一方で表現は丁寧なデマは対象にならないからです。
もちろん、あらゆる情報の真偽を判断することは困難です。しかし、目立ったデマをつぶすことくらいは可能ですし、運営の責任としてそうすべきです。ネット上での差別の担い手はごく少数であることがすでに分かっていますから、目立つアカウントだけでもきちんと潰せば、ネットの環境は相当ましになるだろうと予想できます。つまり、ミソジニーでいえば、もう自明なので名指ししますが、鐘の音・青識・わかり手・白饅頭・すもも・ゴンあたりをきちんと凍結しさえすれば、残りの有象無象の活動を相当抑えることができるはずだということです。
そうした最低限の対応を怠りながら、一方でカウンターを嫌がらせのように凍結し、フェミニストを活動できないところまで精神的に追い込む運営の責任は重いと言わざるを得ません。最低限適切な運営ができないのであれば、そもそもサービスを動かしてはいけません。
デマをなくし、まともな社会へ
第二次安倍政権以降の日本の没落の主要な要因の1つは、デマ、言い換えれば真実から目をそらし、都合のいい幻想に耽溺する不誠実な態度であるといっても過言ではないでしょう。いま目の前にある事実にすら目を向けられない人々に社会を前進させることができるわけがありません。
このような社会の問題を解決し、少しでもマシでまともな社会を作るためには、デマを払拭し事実に基づいて議論する、そんな「当たり前の日常」を取り戻す必要があります。そのために我々にできることは多くないかもしれませんが、それでも、逐一デマを正し、デマが野放図に蔓延することを防ぐことはできます。
デマは人の関心を買いやすいかたちをとります。その物量に勝つには、ひとりひとりの手を突き出して、少しでもデマゴーグをしばいていくほかないのです。
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