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ゲーム規制:ゲーム無謬論は何を導いてしまうのか

 新橋九段です。

 前回、久里浜医療センターが(おそらく)事実に反して悪者に仕立て上げられているという問題を指摘しましたが、それと関連して、もう1つの問題を指摘しておこうと思います。


 それは、ゲームに「なんら」悪影響がないということを強調する論調です。ゲーム規制に限らないのですが、このようの論調は百害あって一利なしと考えているので、その点を論じておきます。


 ゲームに悪影響がないは本当か

 まず、ゲームに関してどのような主張がなされてきたのかを振り返りましょう。例えば、氏は自身の動画『《Law54》コレはひどい、高校生向けゲーム依存症の対策パンフ(案)』内で、ゲーム時間が長くなるほど問題を抱える者の割合が増えるという久里浜医療センターの報告書を批判しています。傾向があるというものの、ゲーム時間のカテゴリによっては減ったりもしているじゃないかという主張です。


 しかしながら、この理路は極めて怪しいと言わざるを得ません。ゲーム時間を1時間ごとに区切って調査回答者をカテゴライズし、その中で割合を見るという方法であれば、綺麗に一方的な増加をしない項目が出てくるのは当然だからです。傾向はあくまで傾向である以上、細かく見れば見るほどその傾向から外れる反応を見つけることは容易です。しかし、傾向から外れる反応があることは傾向がないことを意味しません。

 もっとも、報告書が単純な相関係数で報告すべきところをわかりにくい書き方をしているという問題があるのも事実ですが。


 また、先日大田区議の荻野稔氏がTwitterでつぶやいたように、ゲームと犯罪性に関連がないという研究には人気があります。しかし、この手の研究はあくまで相関関係しか見ておらず、しかもその相関関係も極めて不確かなものであり、信頼するには問題があります。詳しくは『だから相関関係しか見てない研究一本だけで「ゲームに悪影響はない!」と断言するんじゃない』など、私個人のブログで何度か議論してきました。


 もちろん、例えばゲームをやれば十人が十人とも何らかの問題を抱えるといったような、呪いじみた悪影響の証拠があるわけではありません。しかし、実際にゲーム依存症が問題となっていることからもわかるように、ゲームには一定の悪影響もあり、また人によってはその悪影響に大きく左右されてしまうことがあるのも事実です。その点をまず、理解しなければいけません。


 ゲーム無謬論が導くもの

 さて、ではゲーム無謬論は何を導くのでしょうか。結論から言えば、全体的に表現の自由の擁護に不都合なことばかりを招きかねません。


1.説得力の低下

 まず第一に、ゲームに悪影響がないという主張が事実として誤りである以上、主張の説得力を著しく欠くことは避けられません。第一に、まさにゲーム依存症が問題となり、ソーシャルゲームのガチャに何十万とつぎ込む人がいる状況で、ゲームに悪影響はありませんと言っても、はいそうですかと信じる人はほとんどいないでしょう。


 にもかかわらずゲーム無謬論を打ち立てることは、ゲームを擁護する議論全体が、事実を事実として認められない集団によるドグマでしかないと理解されることに繋がりかねません。昨今における反ワクチンや体罰肯定論と同じ視線が向けられかねないと考えるとわかりやすいでしょう。


2.「有害なら規制していい」を導く

 ゲームに悪影響がないから規制するなという主張は、裏を返せば悪影響があれば規制していいということになりかねません。


 もちろん、悪影響があることと規制すべきであることは、無関係ではないもののイコールでもありません。悪影響があるなら規制するというのは、市民を権力が善導するという一種のパターナリズムでしょう。言うまでもなく、市民には愚かで自身の健康を害す行動をとる自由すらあります。他者の権利を侵害しない限りは。


 とりわけ、これは表現の自由を守りたい人たちがぜひとも賛同するだろうことですが、表現の中には不健全なものや悪影響がいかにもありそうなものが多く含まれています。これらを含む表現の自由を守るためには、悪影響がないから規制するなではなく、悪影響があっても規制するなを求める必要があります。


 とはいえ、他者の権利を尊重すべきという点では野放図であってもいけないし、野放図であればかえって規制を招きかねないのは事実ですから、その辺は規制によらない対策をして、ゲーム依存という問題にうまく立ち向かう必要はあるでしょう。


3.有害である証拠の捏造を導く

 上述の通り、ゲーム無謬論は有害なら規制していいを導きかねません。そうなると次に起こるのは、有害である証拠の捏造です。


 これは何も、極端な懸念ではありません。少なくとも現政権は、公文書を廃棄したり偽造したりを頻繁に行って問題となっているわけですから、規制についても同様のことをやらないと考えるほうがむしろ楽観的過ぎるというべきでしょう。


 実際、香川県の規制条例の過程を見ていると、久里浜医療センターの調査が1つの根拠として使われているようです。前回の記事で書いたように、センターの調査はあくまで傾向、相関関係を示したものにすぎませんが、ここに因果関係を見て取る曲解をしている可能性は大いにあり得ます。現状でも、この程度の曲解は頻繁に行われていると考えるべきでしょう。


 このような事態を避けるためにも、我々は「悪影響があっても安易に規制するな」を貫かなければいけません。ましてや、家庭へ介入するような時間制限などもってのほかです。

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