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【表現の自由:私の主張】オタクの味方って誰だ?

 新橋九段です。年末に原稿を募集した『表現の自由:私の主張』ですが、言いだしっぺが何も書かないというのもあれなので、フリーテーマで1本書かせていただきます。


 これは私の観測範囲の話ですが、基本的に「オタク集団」は自身の味方となる人物の判別が絶望的にへたくそです。表現の自由を守るために、自民党から出馬した山田太郎氏を応援するところからもよくわかろうというものです。


 表現の自由に限らず、文化振興、業界の労働環境改善などオタクカルチャーを守り育てるためには、政治の力は不可欠です。そのような背景から、当連合は支持できる政治家を探し、応援する運動を進めていこうとしているところです。


 ここでそもそも考えるべきなのは、「オタクの味方」ってなんだろうか、どういう人物が「オタクの味方」足りえるのかということです。


 「オタクの味方」的に扱われた人物として、山田太郎氏以外にぱっと思い当たるのは麻生太郎氏でしょう。マンガ好きだというのがその由縁です。

 しかしながら、麻生氏も自民党に属していることからわかるように、少なくとも表現の自由に関しては擁護者ではなく破壊者です。過去の言動から言っても、とてもではありませんが、オタク的な表現に理解があるとは思えません。


 もう1人、Twitterで人気なのが荻野稔大田区議です。しかし、彼はTwitterで漫画から引用した表現を使ってふざけているだけで、オタクカルチャーのために何かしたというのは聞いたことがありません。むしろ、真剣な問題を茶化すのに漫画ネタを使用しており、イメージの毀損甚だしいと言うべきでしょう。


 逆に、オタクの敵のように扱われているのはどのような人物でしょうか。

 すぐに思いつくのは、立憲民主党や社民党、共産党のような左派政党の政治家です。表現規制派とすら言われます。しかし、表現の自由を制限するような法案に声を上げてきたのは紛れもなくこのような左派です。


 こうしてみると、オタク集団は、オタクカルチャーを守るような言動をしている人々を敵とし、文化の破壊者を味方扱いするというあべこべの対応をしていると言わざるを得ません。

 どうして、このような事態に陥るのでしょうか。


 それはおそらく、オタク集団における敵味方判断が、文化を知っているかどうかのみを基準としており、その人が文化にどう貢献するのかという点を一切考えていないからでしょう。


 さきほど例に挙げた大田区議がよい例です。彼がなぜ、あのような粗雑なネタの引用を繰り返すかといえば、ネタを知っているという事実がアピールとなり、オタク集団にすり寄ることができるからです。つまり、「ネタを知っているぞ」というのが味方の証拠となり、逆に、知らない(知らなさそう)というのが敵である証拠になってしまうのです。


 しかし、すでに指摘した通り、オタクカルチャーを知っていることと、そのカルチャーに貢献することは全く別の話です。漫画を読んでいても麻生氏は表現を弾圧しますし、共産党議員の多くはアニメを見なさそうですが表現は守ります。


 オタクカルチャーの守護者として政治家を選ぶのであれば、そのカルチャーを知っているかどうかよりも、カルチャーに敬意を払い弾圧しない政治家をチョイスすべきです。ですが、現状はそうなっていません。


 さらに懸念すべきなのが、荻野区議について「粗雑なネタの引用」と書いたように、「ネタを知っているぞ」アピールとしてもレベルの低い振る舞いが、オタク集団に評価されてしまっている事態です。


 これに関しては、そもそもオタク集団における表現の解釈が低レベルであるところに由来するのでしょう。作者の意図であるとか、作品全体の文脈のようなものが一切考慮されずに、ただ断片的に面白がれるフレーズを切り出し、それを飽きるまでネタにし続けるという類の「消費」が繰り返された結果であるといえます。


 年末にAbema TVに出演した作家の幾谷正氏は、特に子供向け作品に対する無節操なR-18二次創作を批判していました。これもある種の、文脈から切り離された表現の消費といえましょう。その作品の性質やそこに登場するキャラクターの特徴を無視し、ただエロとして消費する、そしてそれによって金を稼ぐというスタイルです。


 こうして考えると、そもそもオタク集団という、表現の積極的な受容者が、その表現の味方足りえていないのではないかという懸念も生まれてきます。文脈を無視した粗雑な読解や消費は、表現にとってはマイナスでしかありません。二次創作についても、先の幾谷氏が指摘するように、原作にとってのメリットは一般に言われるほど多くありません。


 もちろん、表現の自由を守るといいながら自民党へ投票するような行動も、表現の味方足りえない振る舞いです。


 2020年、我々はまず、表現の味方足りえる振る舞いとはそもそもなんなのか、一体どうしたら表現の自由を擁護できるのか、そういう基礎的なところから改めて考えなければならないでしょう。そうやって足元を固めてから初めて、実際に表現の自由を守ることができるのです。

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