2019年末に原稿を募集した『表現の自由:私の主張』、第2回はCatarina bassさんの記事です。
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Catarina bassと言います。私は趣味で音楽配信を行っているのですが、その中でdistributorに触れる機会がありました。音楽配信について考えたことがあればdistributorというものはさほど珍しくないものでしょう。一部の音楽配信サービスを利用するにあたってdistributorを通すことを要求されるからです。
もちろん、distributorはひとつではありません。同じところへ配信する場合、例えばSpotifyというところに投稿する際いくつかdistributorの選択肢があります。その中のひとつについての話、distributorを利用して優に1年が経ちます。distributorはどんな形であれ対価を要するので移り気な振る舞いは難しい、ある程度長い付き合いが求められます。ただ、同じところにとどまっていれば、勝手がわかるものと思っていたが、そうではないらしい。それは態度に表れる。
配信に際してその曲の絵柄を決める作業がある。そこでは、視聴者の気を引くために、曲の雰囲気に合わせて、といった理由で選ばれることと思います。私は試験的に「黒一色で塗りつぶした」絵柄を使用しています。「黒一色で塗りつぶした」絵柄は視聴者の気を引くため、とは考えにくいだろう。それは楽曲から視覚情報を無効化したいがためである。
そのことはdistributorの審査に通っており、別段気にすることではなかった。それが2019年11月のこと、追加して申し込んだ楽曲が審査を通らなかった。すでに10曲が同条件で審査を通っているのに、と疑問に思う。また、同時に申し込みの際、同意すべき項目が増えたように感じる。これはひとえにdistributorを変えれば済む話なのだろう。ただ、申し込みの際、同意すべき事柄に「個人的な理由で配信している楽曲を取り下げることはできない」旨の項目がある。
なお、追加して申し込んだ楽曲は
「黒一色のジャケット画像は使用できません」の返答とともに審査から返ってきた。
それに対する応答はまだ保留している。
ここからdistributorの在り方について一考してほしい。
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