【表現の自由:私の主張】サマーウォーズ・ファシズム
- 広く表現の自由を守るオタク連合
- 2020年1月13日
- 読了時間: 8分
更新日:2020年1月19日
※連載記事の趣旨がわかりにくいという声があったのでリード文を追加することにしました。
2019年末に原稿を募集した『表現の自由:私の主張』第1回はおでんとワンカップさんの記事です。
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おでんとワンカップ
公開されてから10年が経つ細田守監督の映画、「サマーウォーズ」。年齢層などにもよると思いますが、日本社会において知っている人はかなり多いのではないでしょうか。今では夏休みの時期になるとテレビの地上波で放送されることが定番化し、お盆で家族が集まるなかみんなで一緒に見るという機会も多いかもしれません。この「サマーウォーズ」という映画のキャッチコピーのひとつは、「つながりこそが、ボクらの武器。」だったそうです。武器を持つということは何かと戦うということになりますが、そういえばこの映画は何(誰)との戦争に向かっていったのでしょうか。またそのときに用いられた「武器」とはどのようなものだったのでしょうか。
主人公の小磯健二は、憧れの先輩の篠原夏希とひょんなことから彼女と交際しているていで先輩の長野の実家で過ごすことになります。個人的にこの主人公の設定がもう(健二くんが天才的に数学ができることも含めて)「キモオタ」の妄想全開すぎてアレだなと思っているのですが、それはさておき、この夏希さんのご実家に集まる親戚のみなさん、説明は省きますがいろいろと個性がすごい方たちでした。その皆さんが大家族陣内家として一同にあつまり、そしてそれを束ねるのが陣内栄、栄おばあちゃんです。
わたしもド田舎出身ですが、普段バラバラにある親戚がこのような形で「本家」に集結したとき、これほどの大人数になることはあまり見られませんし、経験したことがある方も少ないのではないでしょうか。ただ、このように家族があつまることが、かつてはあった「この国の美しい原風景」だったのではないか、と映画を見る人に思わせるような気もします。普段は労働でみんな別々の場所に離散して過ごさなければなりませんが、こうして家族のつながりを継続していける機会があることは、すごく美しいことに思えます。
しかしこの大家族には、二つのほころび(と言っていいのかわかりません)が、最初からふたつ設定されています。一つは先ほどの健二くんです。夏希さんが彼氏として連れてきたので、当然「まだ」陣内家の者ではないですし、もしかしたら陣内万助(漁師のやかましいおじちゃん)あたりからはナヨナヨした奴だなと思われてそうな気がします。もう一つは池沢佳主馬です。佳主馬くんはインターネット上(「OZ」という作中における仮想空間みたいなものなのでネットと違うかもしれませんが)のゲームでスポンサーがつくほどのプレイヤーです。ただ、ずっとパソコンに向かっていて、家族の団欒の場にはあまりなじめないのか姿をあらわさず、いわゆる「ひきこもり」のような印象を映画を見る人に与えます(佳主馬くんはいじめを克服するために万助から少林寺拳法を習っていて、その設定についても言いたいことがありますが、ここでは触れません)。
このイレギュラーな存在を抱えたまま(本当は侘助おじさんにも触れなければならないと思うのですが、余裕がないのでご容赦ください)、陣内家は大きな危機を迎えることになります。一つは、栄おばあちゃんの死です。陣内家の者にとってはこれほど大きなショックは無いと思います。わたしもおばあちゃんが亡くなったときはすごく悲しく、たまに生きていたときのことを思い出し泣きそうになったりします。ともかく、陣内家に動揺が広がるなか、陣内万里子(栄おばあちゃんの長女)が、次期当主として葬儀の準備を促すことで、なんとか家族をとりまとめようとします。しかし、万助は「それどころじゃねぇ」と言います。というのも、また別の危機が迫っているらしいのです。
なんと、先ほどのOZがAIである「ラブマシーン」に乗っ取られたと言うのです。作中においてOZとは、端末からユーザーがアバターを使って、ショッピングなどだけでなく行政上の活動なども行うことができ、実世界と非常に結びつきが強く、ゆえにそのシステム全体が乗っ取られるとなると社会全体が大混乱となります。具体的には、正確には覚えてないのですが、たしか消防への虚偽の連絡が多発したり、水道管が事故ったり、信号機が正確に作動せず交通渋滞になったりしています(ちなみに映画の冒頭で健二くんはこの行政に深く関わるOZの保守点検を「アルバイト」としてやっています)。
陣内家でこの事態をいち早く危機と認識でたのは、男たちです。とりわけ、自衛官の陣内理一などはその立場を活かして「ラブマシーン」との戦争において重要な役割を果たしました。ただ、逆に言えば万里子さんなどはそういうネット上の「ゲーム」に疎かったのです。ここに一瞬、陣内家に一つの分断が持ち込まれます。一方は、現実が見えてないとされる「女たち」です。男たちからすると、万里子さんなどは、栄おばあちゃんの葬儀の準備が大切でしょ!と正論を振り回すだけで、ネット上で今起こっている「現実」の危機については何もわかっていない存在です。男たちはそうではなく、ここではちゃんと現実が見えているというのです。全く会話が通じないアバター「ラブマシーン」が、人工衛星を日本の原子力施設に落とそうとしているという、マスコミなどからでは知ることができない、ネットが伝えるの本当の現実に。
ここで、陣内家がしている戦争の相手が浮かび上がってきます。敵は、実際健二くんが仮アバターでラブマシーンに対して「話し合いましょう」と言ったら一蹴されたように、対話できません。向こうからしてくるコミュニケーションは、私たちの社会を混乱に陥れ、そして飛翔体を原子力施設含め日本のどこかに落とそうとする暴力だけです。この、対話ができず、ゆえに実力をもって排除しなければならない「ラブマシーン」、それが陣内家の敵です。
さて、先ほど陣内家にもたらされた女性たちと男たちの分断は、男たちが初めから気づいていた危機に女性たちも気づきはじめ、その敵を倒すための戦争への一致団結として乗り越えられていきます。このような仕方で危機を共有することで、目の前の問題にどう対処するかというガバナンス意識が、それを担える男たちという価値観を内包させながら家族の分断を埋め合わせていきます。葬儀の準備にすぐ取り組めなくとも栄おばあちゃんが望んでいることだろうと、いや、むしろ栄おばあちゃんの心臓発作確認が遅れたのは「ラブマシーン」が原因の可能性もあったため、この戦争は栄おばあちゃんのための弔い合戦でもあるのだと。この戦争への勝利こそ一番の供養に違いないのです。もはや、この戦いに集えない者など陣内家の者では無いのです。
そしてこの戦争を通じて、もうひとつ陣内家が乗り越えていくものがあります。それが先ほど述べた、陣内家にとってイレギュラーな存在だったふたりです。ふたりとも、戦争が始まる前は、健二くんは数学、佳主馬くんはプロのゲームプレイヤーとして、非常に素晴らしい力を持っていますが、ただそれだけでは「暗いオタク」のような存在でした。しかし、この戦争を通じ、ふたりは男を「あげて」いきます。健二くんと佳主馬くんがもともともっていた力は、敵を倒し陣内家を危機から救うことで、はじめてその有用性を認められ、そしてふたりは自他共にこの家にふさわしい男になったと実感するようになります。そして、いつのまにか夏希さんと健二くんが結ばれ、最強の「つながり」としての陣内家の再構成が完成します。
このような「美しい」家族の結びつきを描く物語が人気だということは、もしかしたら、そのような関係がいま危機にさらされているからではないでしょうか。つまり逆に言えば、常にその血縁による結びつきを再確認することの必要性にわたしたちは迫られているのではないか、ということです。いきなりでかい話で恐縮ですが、資本主義の発達において、都市への人口の流入は必然的な現象だと思います(ちゃんと調べたことないから知らんけど)。なので、「血縁」は基本的に強固なものとして観念されているにもかかわらず、現代を生きる私たちは基本的に親密な人と少なくとも一定の期間は離れ離れに生活していかなければならないため、ゆえにお盆ときにわざわざ確認しなければ実感できないほどまでに脆弱なものとなっているか、あるいは危機とまでは言えなくとも「血縁」がほころんでいる状況は常態化しているのではないでしょうか。
しかし、このほころびの状態にあっても、じゃあ一般的な「家族」とは違う共同性を目指すこともありなんじゃないか、という発想には結びつきにくいように思えます。少なくとも日本社会ではそうはならず、陣内家のように、「血縁」のほころびを常に抱えたまま「危機」といえる状況に陥ったとき、わたしたちはその危機の克服のため、そのつながりを再確認することをいつでも武器として持ち出そうとするように思えます。そのため、わたしたちが今いる社会では、危機への応答として、あるべき家族像、再確認されるべき美しい家族像が立ち上がってしまうのです。そういう意味で、現代に生きる私たちは常に「サマーウォーズ」の戦前、サマーウォーズ前夜にいると言えるのかもしれません。
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