新橋九段です。
あいちトリエンナーレで開催された『表現の不自由展・その後』について、いくつかの動きがありました。
最大のものは、文化庁が内定していた補助金交付を中止したことでしょう。この点について後々まとめようと思いますが、正当性のない決定であることは確かです。
今回の主要な話題は、その前日に朝日新聞が報じた、検証委員会の中間報告についてです。(参照:不自由展の混乱「最大の原因は芸術監督」 検証委が批判-朝日新聞)
脅迫の原因はキュレーションの失敗ではない
中間報告は芸術監督である津田大介氏に関して、『すなわちキュレーション(企画の実施手法)に失敗』『誤解を招く展示が混乱と被害をもたらした最大の原因は、無理があり、混乱が生じることを予見しながら展示を強行した芸術監督の行為にある』と批判しました。
しかし一方では、トリエンナーレに対する脅迫について『「展示室内はおおむね冷静だった」が、「展示を見ていない人がSNS上の断片画像を見て」、県庁や県立学校などに「組織的かつ大量の電凸(電話による攻撃)攻撃に及んだ」』ともしています。
脅迫の大多数が実際の展示を見ていない人によるものであるとすれば、『混乱と被害をもたらした最大の原因』は『展示を強行した』ことではないのは論理的に明白であるはずです。検証委員会の中間報告は責任を芸術監督に押し付けることが目的と化しており、結論ありきであってその論理構造に妥当性がないことが露呈しています。
真の原因は歴史修正主義
今回の脅迫がなぜ生じたのか、その原因は明らかに、日本に蔓延した歴史修正主義にあります。そのことはネット上の反応を見れば火を見るよりも明らかです。平和の像はそれが従軍慰安婦を記念するものであったから脅迫の対象になったのであり、キュレーションや展示に失敗したからこのような騒動になったのではありません。
脅迫者の動機が歴史修正主義であるならば、どのような表現がどのように展示されどのようにキュレーションされていようが関係はありません。彼らは多かれ少なかれ従軍慰安婦を肯定的に扱うことそれ自体が気に入らないのであり、それが動機になっているからです。もし彼らの脅迫を、キュレーションなどによって防ぐべきというのであれば、取りうる手段は「展示をしない」ことのみとなってしまいます。
また、ここまで騒動が大きくなった一因は、河村たかし名古屋市長、松井一郎大阪市長、黒岩祐治神奈川県知事、そして菅義偉官房長官、柴山昌彦文部科学大臣(当時)が、表現の検閲と歴史修正主義を肯定する発言をしたことにあります。
加えて、警察が脅迫犯の捜査に消極的であったことも見落とせません。しいて芸術監督に失敗があるとすれば、このような自由と歴史的事実を軽んじる風潮が公人と公権力にまで浸透していることを楽観視していたことでしょうが、しかしそれは一個人の創意工夫でどうにかできるものではなく、またある意味では、そのような事実に抵抗するための展示であったはずです。
歴史修正主義と対決せよ
今回の問題は、表現の自由を極めて限定的に理解するあり方と、歴史修正主義が両輪となって加速しています。検証委員会の中間報告のように、一方の問題に注視し、もう一方を見落とすのは問題の理解として不完全です。
同時に今回の問題は、権利を軽んじることと事実を軽んじることが、特に「保守」と呼ばれる立場の中で密接に結合していることを示しているものでもあります。表現は権利であるとともに、多かれ少なかれ事実に立脚してなされるものでもあります。
歴史修正主義を肯定する態度も、巡り巡って表現の自由を抑圧するものといえましょう。
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